量子計測と量子スピン顕微鏡
私たちの研究室では、量子力学の原理を応用した超精密な計測技術、すなわち量子計測(量子センシング)の研究に取り組んでいます。量子力学を活用することで、従来の技術では不可能だった超精密な測定が可能になり、物質の本質に迫る新たな手法が切り拓かれます。なかでも私たちは、メゾスコピック系*(ナノスケールの人工量子系)の物理と量子計測を融合させた、新たな研究領域を開拓しています。
その中心にあるのが、ダイヤモンド中に存在する格子欠陥 NVセンタ(Nitrogen-Vacancy center)です。これは隣接する炭素原子2個が、1つの窒素原子と1つの空孔に置き換わった構造で(図)、内部に独特の量子準位を持ちます。


近年の研究により、NVセンタ内の電子や原子核スピンの量子状態が極めて長く保持されることが分かってきました。つまりNVセンタは理想的な量子ビットなのです。またその高い潜在能力を使えば、新しい測定技術を開発することもできます。実際、NVセンタ内の量子準位の精密測定によって、NVセンタが感じている磁場や温度を超高精度で測定することが可能です。この点でNVセンタを原子サイズの量子計測器(量子センサ)と呼ぶことができます。
私たちは、この特徴を使って物質の磁気的な性質や熱輸送を、あたかも顕微鏡で観察するかのように、観測したいと考えています。これが私たちが現在取り組んでいる量子スピン顕微鏡の研究であり、メゾスコピック系の物理学に新展開をもたらします。
NVセンタを用いて物質の性質を探求していくことは、世界的にも始まったばかりの試みであり、大きな発展が期待されます。この先には、量子液晶・非平衡輸送・スピングラス・トポロジカル端状態・永久電流など、物理学にとって重要で、魅力的な数多くのテーマが横たわっています。
*メゾスコピック系の物理学とは
近年、極小の電子回路を舞台として、量子力学的な効果を人間の手で制御しようという、人工量子系の研究が活発に行われています。このような人工量子系は、”メゾスコピック系”と呼ばれることもあります。メゾスコピック系(mesoscopic系)とは、バルク物質のように巨視的なサイズの物質でもなければ、逆に原子レベルのように小さなスケールでもなく、その中間(meso-)の大きさの系という意味です。
近年ではナノテクノロジーの進展により、電子1個・スピン1個を制御できるようになり、こうした系を用いた量子現象の実験的研究が活発に行われています。現在世界的に注目される量子コンピュータの基本素子である量子ビットの原点も、まさにこのメゾスコピック系の物理学にあります。
小林は1999年以来メゾスコピック系の研究を行ってきました。研究で用いてきたメゾスコピック系の電子顕微鏡写真の例を下に示します。2019年以降、量子計測とメゾスコピック系の物理学の融合を目指して研究を進めています。

メゾスコピック系の電子顕微鏡写真:(左)量子ドット-アハラノフ-ボームリング複合系
(中)マッハ・ツェンダー型電子干渉計 (右)カーボンナノチューブ量子ドット
進学を希望する学生の皆さんへ
教科書の一歩先に広がる世界には、驚きと発見が満ちています。
こんな方を歓迎します:
・物理の基本原理に強い興味を持つ方
・電子一個あるいはスピン一個を操作したい方
・新しい測定技術を開発したい方
・現実の物質を相手に超精密な実験をしたい方
・ものづくりが好きな方
・「世界で初めて」に挑戦したい方
・物理を楽しく議論するのが好きな方
私たちと一緒に、新しい物理の地平を切り拓いていきましょう。意欲ある皆さんの挑戦を、心からお待ちしています。
主要な成果や現在進行中の主なテーマ
- 量子スピン顕微鏡の開発とその応用
- スピンを用いた量子制御
- メゾスコピック系における量子輸送・量子多体制御
- 非平衡電流ゆらぎ(ショット雑音)によるメゾスコピック系の研究:一粒子系から量子液体へ
- 量子液体における多体相関の検出:量子液体における三体相関、からみあう電子たち
- 量子多体状態による電子散乱: 近藤状態における電子散乱過程の観測、近藤状態の内部構造
- スピン流のゆらぎの観測: スピンショット雑音を初めて検出
- 量子系における「ゆらぎの定理」: 量子系における「ゆらぎの定理」の検証実験
- 物性探索
- 電子スピン・核スピン依存伝導:量子ドットにおける近藤効果
- トンネル磁気抵抗素子における量子輸送:マグノンによる非線形伝導
- 非平衡物性: シリコンにおける非平衡磁気抵抗効果
- 新規測定手法の開発
- 高精度ゆらぎ測定:低温アンプの開発