同位体制御された六方晶窒化ホウ素中のホウ素空孔欠陥(hBN量子センサ)を用いて、動的核スピン偏極の振る舞いを定量的に解明しました。本成果は、Phys. Rev. B誌に掲載され、同誌の “Editors’ Suggestion” (注目論文)に選出されました(→論文)。
量子センシングや量子情報処理の基盤技術として、色中心内のスピン(スピン欠陥)が近年大きな注目を集めています。なかでも、ダイヤモンド中の窒素空孔中心(NV中心)は、室温での長いコヒーレンス時間を持ち、量子センサや量子メモリとして多くの応用例があります。
本研究では、NV中心に続く新たなスピン欠陥として注目されている、六方晶窒化ホウ素(hBN)中のホウ素空孔欠陥(以下では「hBN量子センサ」と呼びます)を研究しました。hBNは劈開可能な二次元物質であるため、hBN量子センサはNV中心とは異なる利点を持っています。私たちは特に動的核スピン偏極(DNP)という現象を体系的に調べました。DNPとは、高い偏極率を持つ電子スピンを操作して核スピンと相互作用させることによって核スピンの偏極率を高める技術のことであり、量子メモリの動作やNMR・MRIの高感度化において鍵となります。

本研究の特徴は、ホウ素と窒素の同位体(10Bと15N)を濃縮した特殊な高品質hBN結晶を用いた点です。これにより、通常のhBN量子センサよりもODMR(光検出磁気共鳴)スペクトルが単純なものとなり、核スピン偏極の詳細な測定と解析が可能になりました。
また、得られたODMRスペクトルを、リンドブラッド(Lindblad)方程式に基づいた理論モデルを用いて数値的に再現しました。このモデルは、スピンの時間発展だけでなく、光照射や環境との相互作用も取り入れた、開放量子系の記述に適した方法です。モデルでは、1つの電子スピンと3つの隣接核スピン、および光学遷移を考慮しました。
その結果、磁場を変化させた際のODMRスペクトルの振る舞いや、核スピン偏極の全体的な挙動はシミュレーションと実験でよく一致しました。ただし、従来広く使われているローレンツ関数による解析から求めた偏極率の値は、真の値からずれていることを見出しました。このことは従来の解析手法の定量性に問題があることを物語っています。すなわち、実験で得られるODMRスペクトルには電子スピン・核スピン・光学遷移が関わる複雑な量子多体ダイナミクスが反映されているため、単純な解析手法では正確な情報が得られないということです。さらに、ホウ素空孔欠陥の構造の対称性に由来する相互作用テンソルが、核スピン分極の最大値を抑制する主要因であることも分かりました。
このように、新しい2次元量子材料であるhBN量子センサの特性を定量的かつ理論的に解明した本研究は、今後の量子センサ研究の基盤となる成果です。特に、同位体制御とリンドブラッド方程式を組み合わせた解析により、DNPの本質的な限界と可能性を明らかにしました。
本成果は、物質・材料研究機構(NIMS)の岩崎拓哉独立研究者、渡邊賢司主席研究員、谷口尚理事、産業技術総合研究所の小川真一客員研究員、森田行則上級主任研究員、東京工科大学 中払周教授との共同研究によります。