過去に戻ってもまた同じ人生になりますか?

質問
仮に現在から過去へ時間が巻き戻ったとしたら、その時点から現在までもう一度人生を歩む場合、同じ人生になるのでしょうか。粒子の運動が完全にニュートンの運動方程式に従う場合は、初期状態が定まれば決定論的に将来は完全に予測できるため、過去に戻ったとしても、同じ人生を歩むのではないかと思います。他方で、量子力学ではミクロな粒子の運動や位置は確率論的に定まると聞きます。従って、初期状態が同じだったとしても異なった人生、あるいは世界になるのではないかと思いました。また、ミクロな粒子が多少異なった動きをした場合、その影響はマクロな我々の生活に大きな影響として現れるのか、ということも気になりました。実験的に確かめる事は不可能なので、とても気になり質問させて頂きました。


回答
もし、過去に戻って、同じ初期状態を与えることができたなら、同じ人生を歩むことになるのか、どうか。とても面白い、深い問いですね。ある時点での初期状態さえ与えれば、その後に起こるすべての出来事は、運動方程式を使って計算できるはずであり、予測可能であるはずだ、というアイデアは、実は古くからありました。そのようなことのできる“全知全能の存在”を、提案者ピエール=シモン・ラプラス(1749-1827)の名をとって、ラプラスの悪魔、と呼ぶこともあります。

では実際に、もしこのような全知全能の存在がいたとして、同じ初期状態を与えれば、同じ人生になるのでしょうか?

この考え方には、二つの点で困難があります。一つ目は、同じ初期状態を用意することが原理的にできないという点、そして、二つ目は、たとえ(全く同じ初期状態を用意できたとしても)予測可能なように物事が進展するわけではない、という点です。その理由は、ご質問にあるように、あらゆるものに「ゆらぎ」が存在するからです。

「ゆらぎ」とは、数学的には期待値の周りの分散のことを指します。二つのゆらぎがあります。一つは量子的なゆらぎです。量子力学によれば、粒子の位置と速度(運動量)の両方を、完全に正確に決定することはできません(ハイゼンベルグの不確定性原理)。もう一つは、熱的なゆらぎです。量子的なゆらぎが存在していない古典的な世界においても、粒子は熱的にゆらいでいて、その位置も、速度も、確率的なものです。熱的なゆらぎの代表例として、ブラウン運動があります。水中の微粒子が水分子の衝突によって常にゆらいでいるように、あらゆるものがゆらいでいます。そう、私たち自身の体を構成する細胞ですら、一つ一つが常に熱的にゆらいでいるのです。

以上のことから、全知全能の存在であったとしても、完全に同じ初期状態を用意することが原理的に不可能であることが分かります。さらに、たとえ同じ初期状態が用意できたとしても、ゆらぎがあるために、予測可能なように物事が進展しないだろうということも容易に想像できるでしょう。

それでは、初期状態にある程度のゆらぎ(不正確さ)があっても、同じ人生を歩むことが出来るのでしょうか。

実は、初期状態が少しでも違えば、その後に大きな影響が生じうることが知られています。例えば、数個の方程式で記述されるような単純な系であったとしても、非線形な項がある場合には、初期値が少しでも変化するとその後の振る舞いが大きく変わっていくのです。この事実は「初期値に対する鋭敏な依存性」という言葉で知られており、カオス理論の出発点となります。詩的な表現で「バタフライ効果」とも呼ばれることもあります。ある場所における蝶(butterfly)のはばたきが、数ヶ月後には、地球の反対側で台風を生み出す可能性もある、という比喩です。

ここまでの話をまとめましょう。ゆらぎがあるために、同じ初期状態を用意することは本質的に不可能である。その後も、あらゆる時間と場所で、ゆらぎが生じることにより、ずれの影響はどんどんと大きくなっていく、ということです。同じ人生を歩むことは、不可能でしょう。

では、このことを「実験的に確かめる事は不可能」なのでしょうか? 時間を巻き戻して人生をやり直すことはできませんが、研究の現場では、できるだけ同じ条件のもとで(初期値をできるだけ同じにして)、繰り返し実験を行うことがしばしばあります。例えば、近年、ナノ物理学の分野では、ただ一個の電子を小さな電子回路の中に閉じ込め、その後、何が起こるかを見る、という実験が盛んに行われています。このような実験では、電子一個の振る舞いでさえ、予測不可能であることが分かっています(より正確に表現すると、多数の実験を繰り返した場合の電子一個の振る舞いの期待値は予測可能ですが、一回ごとの測定結果を予測することは原理的に不可能であるということです)。

それでは、このようなミクロなゆらぎは、どこまでマクロな事象に影響を与えていくのでしょうか? 例えば、ある場所での原子や電子一個のゆらぎが、ずっと後になって、遠く離れた私たちの人生に影響を与えることはあるのでしょうか。それとも、やはり、そのゆらぎは、あまりにも小さいので、時間とともにかき消されてしまうのでしょうか。

ここまでの考察だと、前者の可能性が高いと考えられますが、現時点では、明確な答えを持っている研究者はいません。もし、量子的・熱的なミクロの世界でのゆらぎがマクロの世界で時間的・空間的にどのように広がっていくのかを実験で定量的に示すことができれば、それは本当に素晴らしいことです。現在進展している量子コンピュータに関わる研究は、その方向での私たちの理解を深めてくれる可能性があります。

全知全能であったとしても、時間を巻き戻してしまうと、同じ人生を歩むことはできないでしょう。だとすれば、今の人生は、文字通り、ただ一度きりのかけがえのない人生、ということになりますね。とても味わい深いことです。

小林研介、大阪大学理学部Q&Aコーナー(2019年11月)


※上記は、2019年11月に、阪大学理学部ホームページの人気メニューQ&Aコーナーに一般の方からのご質問「過去に戻ってもまた同じ人生になりますか?」への回答として掲載したものです。大阪大学での掲載期間が終了しましたので、ここに載せています。