なぜルビーは赤いのか? なぜ輪ゴムは伸びるのか? 「物性物理」とは,このようなさまざまな物質の性質を物理学によって解明しよう,そして,その性質をコントロールしよう,という物理学の一分野である。私は,自分自身がこのような研究を行っているので,幅広くたくさんの人にその魅力を伝えたい,という気持ちがとても強い。しかし,講義やキャンパス公開などの機会に出会う大学生や高校生と話していると気づくのが,彼らの物理学に対するイメージがもっぱら「宇宙」や「素粒子」であることだ。果てしないものに憧れをいだくのは人間の性(さが)である。私も,とても憧れる。それでは,「物性物理」の魅力はどこにあるのだろうか? 私にとって,その魅力は,身近なもののしくみを理解したい,という等身大の日常感覚にある。宇宙や素粒子のわかりやすいロマンに比べると,物性物理の魅力はちょっと別の方向にあるようだ。
じつは,大学に進学した当時,私は,生命科学をやりたいと思っていた。昔から,身近なもののしくみを理解したいという好奇心が強くて,時計を分解するような子供だったので,もっとも身近にあって動くものの不思議に興味をもつのは当然だった。ところが,大学生になって生物関係の講義を受けても,わくわくしない。むしろ,多様で膨大な事実の存在に圧倒されるばかりであり,このままでは,永遠に生命のしくみには到達できないのではないかと感じた。いまにして思えば,自分の浅はかさに恥じ入るばかりである。しかし,その当時は,もどかしく思いながら,自分なりにいろんな本を読んだものである。そして,ワトソン‒クリックのDNA二重らせん構造の発見に代表されるような,物理学が生命科学に果たした役割を知るようになった。それなら,自分もまず物理学を勉強してみよう,と思うようになったのである。
物理学科に進学してみると,今度は,物性物理というものがあることを知った。勉強していくと,金属がぴかぴかしている理由や,ダイヤモンドが硬い理由がわかる。とてもおもしろいと思ったし,こういう視点からなら生命のことがわかるかもしれないと感じて,物性物理の道に進んだ。
大学院に入って,研究を始めてみると,やはり,たくさんの物質があり,それぞれが多様な個性をもっていることに圧倒された。その状況は,自分が生物学を学んだときと同じだった。しかし,今回は,研究対象として出会った点が大きく違っていた。研究をして,ある特定の物質についてくわしくなると,それを足場にしてほかのものも見えてくるという感覚,細部を通して全体を俯瞰するような不思議な感覚を味わえるようになった。同時に,昔,生物学で膨大な事実の羅列に思えたことの背後には,普遍性が横たわっていたことを理解できるようになった。自然とは,多様性と普遍性が,それぞれ縦糸と横糸になった壮大な織物なのだ。そういうことがわかってきた。
物性物理の研究に携わって20年くらいになる。当初の目的だったはずの生命のしくみにはいまだ到達していないものの,やはり,私は物性物理をおもしろいと思うし,じつは,近年ますますおもしろく思うようになってきた。物性物理のよいところは,いろんな事象が等身大のスケールにあることである。物性物理の扱う長さは,(宇宙や素粒子のような極端なスケールではなく)1 nm~1 m程度である。これは,まさに日常である(1 nmは日常ではない,と思われるかもしれないが,われわれの身のまわりの半導体技術は,そのレベルでコントロールされている)。なぜ金属は電気を流すのか,なぜ鉄は磁石になるのか,……そういった日常感覚の疑問に答えながら,多様性と普遍性が絶妙にブレンドされた自然の成り立ちを感じることができる。また,等身大だからこそコントロールでき,エレクトロニクスなどのさまざまな技術が生み出されてきた。偉大な先人たちにならえば,自分も何かを上手に制御することで,見たことのないものを見ることができるのではないか,という気持ちがかき立てられる。
この感覚って,何だろう? 私にとって,子供だったころ,わくわくしながら時計を分解したり組み立てたりしたことと,じつは,とても似ている。身のまわりの「しくみ」がわかる。これが物性物理の等身大の魅力である。最近,わが子が大きくなってきて,日常生活の「なぜ? なぜ?」が増えてきた。物性物理は,こういうときにも役に立つ。「お父さん,水は透明なのに,どうして海は青いの?」「おもしろいことに気づいたね。それはね……」。父親としては,ちょっと,いや,かなり得意になる瞬間である。
小林研介「物理っておもしろい?-等身大の魅力」、パリティ Vol. 28, No.11, 51 (2013).
上記は、物理科学月刊誌『パリティ』(丸善出版)の連載「物理っておもしろい?」に寄稿したエッセイです。2015年5月、この連載がまとめられて、単行本『先生、物理っておもしろいんですか?』(丸善出版)として発行されました。物理学関係者69名によるエッセイ集となっています。大学、研究、教育、出版などに関わる様々な方が、いろいろな立場から物理学に携わっていることが分かります。研究すること、研究者、科学教育、科学と社会の関わりなどに興味のある皆さんにお勧めです。
※多くの物理関係者に愛されてきた月刊誌『パリティ』ですが、残念ながら2019年5月号をもって休刊となっています。